悩みが少ない都道府県ランキングが出てた。悩みがないと満足度が高い?
記事をぶらぶら見ていますと、「悩みのない人が多い都道府県ランキング」というのを見つけました。
ランキング上位を見てみますと
1埼玉県
2兵庫県
3愛媛県
4神奈川県
5福岡県
です!
1位は彩の国さいたま。
何かと話題になる埼玉県。とんでいる県です。
(未だに彩の国埼玉という単語が出てくるのはハナワの影響です)
アンケートの詳細は触れませんが、悩みがないと幸せみたいなイメージもありますが、悩みというのは今に満足していないということであり、もっと良くしていきたいという気持ちの裏返しだと思います。もっと良くなりたいと思っていないなら、悩む必要ないのですから。
ある意味悩みが多い県というはモチベーションの高い件なのかもしれません、と少しひねくれてみていました。
別角度で「生活満足度が高い都道府県ランキング」というのもありました。
1沖縄県
2福岡県
3香川県
4石川県
5鳥取県
です。
これに悩みが少ない人が多いランキングを重ねますと、、、
満足度が高い
↓
1沖縄県 37
2福岡県 5
3香川県 34
4石川県 22
5鳥取県 11
↑
悩みが少ない
という形になっています。
このアンケートの妥当性は置いときまして、仮に妥当であったとしましたら、満足度が高い=悩みが少ないこと、とは言い切れないことがなんとなく伝わってきます。
アンケートを取る時には、その調査の意図というのがあります。つまり得たい結果が想定されています。実施者の思惑と言っても良いかもしれません。
それを考えると、上記のアンケートは住んでいる人の価値観を測るものでしょうが、似たようなランキングを並べてみると、互換性というのが少なくなってきます。
なんだか、満足度が高けれれば悩みがすくないだろう、、、という一般的に考えそうな仮設は案外はずれるものだな、それはんでだろう、と考えることができるので面白かったです。
そして日々は続く。
今日もアイス。あいすまんじゅうの新しい味にうっとり
毎日、毎日、まいにち、、、
ほんとに将来だいじょうぶかな、、というぐらいアイスを着実に摂っています。
今日はこちらです。
上は、今では前よりお手に入りやすくなったずんだもち。
ずんだもちは既に定番になっています。私の中で。モンブランは季節限定と書いてありますが、ずんだもちには記載がない。ということは、ずんだもちは会社的にも定例のアイスになったということでしょうか。それだと本当にうれしいです。
そんなずんださんを置いておいて、今日はモンブラン味です。モンブランは栗ですね。
モランボンは焼肉。(北朝鮮にそんな名前の丘があるのですねby Wikipedia)
モンブランですが、栗味のクリームと思っています。
栗を英語で言ったらなんというでしょう?
多くの方が「マロン」と答えるのではないでしょうか?
試しに、近くにいる方に聞いてみてください。
なんと、答えられましたか?
もし、マロンという返事が返ってきたら、こう言ってください。
「ぶっぶーハズレです」と。
マロンは フ・ラ・ン・ス・語 です。
英語でいうと CHESTNUT です。
「ちゃすなっ(つ)」 と発音します。
(つ)は心の中でつぶやくぐらいの無声音で言うとかっこいいと思います。
ナッツなんですね。木の実の一種と考えたらなるほどなと思いました。
勇んで、きゃすなっ と、言おうものなら、少しうざがられるかもしれませんので注意してください。
話がアイスからそれましたが、あいすまんじゅうは、いろいろツボを押してくるシリーズですね。今回のモンブランも季節的にうっとりするおいしさに仕上がっていましたので、ぜひ機会があればご賞味ください。
そして日々は続く
恋人は、ついに冷たくなっていた
タイトルだけみたら、少しぞくっとしますが、話は単純です。
白い恋人がアイスクリームになっていました。
種類もアイスクリームと表記されていましたので、乳固形分と乳脂肪分が多いことがうかがえます。
本当に毎日アイスクリームを食べています。
このままでいいのか、いや、いいだろう(自己説得)
どんなものか食べてみましたが、なかに何かのチップが入っていまして、アイスクリームに紛れて少しサクサクするものが入っていました。
白い恋人が好きすぎて、アイスクリームになってしまったら正直それはもう白い恋人ではないと思いました。まるで、Bzは好きだけど、稲葉浩志になったらそれはもうBzではないのと同じように。
と、味の好みは置いときまして、白い恋人の新しい一面を知ることができた今日この頃でした。近くで見かけて際はお試しください。
そして日々は続く。
マラソン。わが家の子は走るのが早いわけじゃない
どうも。
日々、何気なく過ごしています。
そんな毎日ですが、この前わが家の子どもが通っている園で親子マラソンがありました。
説明します。
親子マラソンとは!
親と子。二人並んで走るわけです。
それだけ。
走るペースや距離は子どもによってことなるところが、通っている園の面白いところ。2周でやめる人もいれば、3周4周と走る子もいます。
そんな中、年少のわが家の子どもは6周は知っていました。最後まで走っており、たぶん一番長く、早く走っていたかと思います。
元気やなぁと言われることもありましたが、親としてはたから見ていて思うのは、そうじゃない、という気持ちです。
これは、走るのが好きでずっと走る、のではなく、自分で走ることをコントロールできずに走りすぎている、という状態だと思います。終わった後、みんながゲームをしている中一人「もう限界」とグループを離れてたたずんでいました。反動があったのではないかと思っています。その状態を見守ってくれてる園はありがたいなと思っています。決して集団に入れ、馴染めという方法はとらないですね。ありがとうございます。
結果として、走っていますが、それをどう見るかは周りの評価によるところが大きいかと思いました。
できるだけ、フラットな気持ちで子どもの成長を見守っていきたいものです。
そして日々は続く。
見栄がない正直なお年頃
今日は節分です。
どこもかしこも、鬼。
鬼滅の刃も鬼。
鬼、鬼、鬼。
鬼滅の刃マンチョコをかいましたら、無惨が出てきました。
それはさておきです。今日は子どもの行っている園でも節分行事がありまして、世のお父様のお力をいただいて豆まきをしたそうです。
毎年好評?で子どもたちは阿鼻叫喚。どえりゃあ泣くそうです。
お迎えに伺いましたら、ほかの子どもたちは強がってか、「少し泣いた~」といっていましたが、我が家の子どもは駆け寄ってきて「めっちゃ泣いたわ!」とすっきり過ぎるぐらい正直。そこに何もためらいや恥じらいな感じさせない。すげー爽やかに泣いたころを全力で教えてくれました。まるで新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のように爽快でした。
なんか、このまま素直にそだっていく環境を目指していきたいものです。
そして日々は続く
学ぶということは、提供側の方法より受ける側のスタンス(個人的には)
仕事柄、いろんな方と接するのですが、その中で痛感することがあります。
自分の気づき1つで、いろいろな学びが得られるということです。本日はある意味ご意見を頂いたのですが、自身の感情的な動きで自分の大切にしている信念や価値観のようなものが見えてきました。言葉には出てこないのですが、言葉の背景にある自分の抑えどころのようなものがあぶり出されます。
例えば、話を聞いてむっとしたならば、なぜむっとしたのだろうと思うのです。気にしないことならこんな錠が揺さぶられることはないのですが、むっとするということは何かしらのことに引っかかったということだと思います。その時に自分が守りたかったのはなんだろうか、相手の言葉を受け入れるとどうなるのだろうか、自分が隠れて信じているものはなんだろうか、、、と気が付かされるわけです。
自分が家事を支えている、、、という価値観のそばには「誰も手伝ってくれない」「自分じゃないとできない」「他の人にはやってほしくない」「自分が家事をしないと自分じゃない」・・・・などいろんな価値観があるのかもしれません。こういうのは、コーテイングのプロじゃないと自分では見えにくいことかと思います。
それが、いろいろな人と話をする中で、相手が大切にしているものは?相手が得たいものはなにか?と考えていると、自分でも考える癖のようなものが付きました。
今日のご意見も気落ちの揺れはありましたが、ありがたいことでした。
その時に、自分の揺れに気がつくのが大切かと思いました。「そんなんいわれてもねぇ」と思えばいくらでも割り切れます。がそこから何かを学ぼうとすればいくらでも学べます。学びは提供側ではなく、受け取り側の姿勢で質を上げていく事ができると思いました。
受け取りの姿勢を大切だと知っている人が、誰かに教えることができるのかもしれないと思った今日このごろでした。
そして日々は続く
朝の彩りはサラダとフレンチトースト
日曜日の朝。
すこしゆっくりめに起きることができました。けっこう、この少しのゆっくりが大きな価値です。
朝ごはんはフレンチトーストとサラダ。
フレンチトーストになったわけは、近所スーパーで食パンが破格の値段で売られていまして、ついつい買ってしまいました。それがパサパサしていると言ったらなんの。
というわけで、卵と牛乳と隠し味でしゃしゃしゃっとしっとり焼き上げた次第でございます。
朝から少しほっこりしました。
人間って面白いもので、占いとかで「今日はなんだかいいことが起こりそう」と思ったら、些細なことでも良いことと捉える傾向があります。逆に「今日は悪いかもしれない」と思うと、ハッピー度は下がります。
なにか判断をする時に、少しでも良い方に判断している、と思いましたら、事実として物事は好転するかもしれませんね。
そして日々は続く。