GO TO はどこへGO TOするのだろうか。
ヤホーニュースでこういうのを見ました。
GO TOを延長したい。
エンチョーですって。
「ながくのばす」のEN-CHOH。
賛否があるところでしょう。
感染が広がるではないかと危惧する人。
方やコロナのリスクは低いと見積もって経済のため優先する人。
方や、そもそもコロナ感染者は海外に比べてまだまだ少なくてまさか自分がかかるとは思っていない人。
純粋に楽しむ人。
(美容院で他の人の雑談を聞いていると温度感は様々だなと改めて思いました)
GOTO続けるかどうかは、横に置いといて、私が気になっているのは次のところでした。
冬にかけて感染の拡大が懸念されることについては、「国民はそうしたことを賢明に判断しながら利用していると思う」としています。
感染の拡大は、国民の賢明な判断に委ねられている。
賢明ー「かしこくて道理に明るいこと」
さすが、日本。
リテラシー高い人が多い。
そう思っているのでしょうか。
その反面、思いますのは、もし、感染したら
「あなたは賢明に判断できなかった人」とみられるのでしょうか。
そう言いたいんじゃないだろうかと、やや斜めから受け止めてしまいます。
世の中、本当にいろいろな人がいます。
コロナに対する危機感も様々。
すべての人が厳密に予防できるわけでないと正直思っています。
そもそも罹患しているかも、わからなかったりします。
賢明な判断とはなんでしょうか。
感染と責任だけが降り掛かってくるようなことは、避けてほしいものです。