徒然日々 ー 園芸とDIYと時々ソーシャルワーク ー

日々を暮らしていて、思ったことを書いていく、時間をつぶすにはぴったりだが、まったく為にならないブログ。

原因ってどこまで必要なんでしょう?楽しいに根拠は必要なのか。

よくよく会話に耳を傾けてみますと「なんで?」ということをよく使っています。

なんでそうしたの?

なんで食べたの?

なんでなんで〜?

何気なく、すぐ口からでてくる言葉です。

実は、なんで?って聞かれるから次の答えが出てきている、という感覚になります。

例えば「なんで楽しかったの?」ときかれますと、聞かれるまでは理由はわからず、なんだかワクワクしているだけということもあります。
聞かれて初めて楽しかった原因を理由を考えています。

それで、「あ!自分はあの人のこういった行動が面白いと思ったんだ」という原因を突き止めたような気になります。

原因があるから面白いのではなくて、面白いから原因が作られるような気がします。

なんだか変な話ですが、原因があって自分の気持が変化するというより、変化が先にあって、原因があとから付いてきます。
世の子どもたちを見ていたらそれが顕著で、たぶん原因など考えず何事も面白がれたり、楽しめたりしています。

大人になるにつれて、自分の「言葉の言語化」という形で、面白いものもなんだか気難しく考えてしまうような気がします。

お笑い番組を見て、面白い!と感じたことを言葉で友達に説明しようとすると、うまく面白さを伝えることができません(私には難しい><)

何が言いたいかといいますと、自分のうっかりの原因を聞かれましても私自身もわからないことが多いですよ、ということです。