全く根拠はないが「ま」が付く言葉の神秘さ
いつもありがとうございます。
今日も変わらず、ご飯を食べていました。
ふと思ったことを、ただただ、ただただつらつらと書いていこうと思います。
ごはんのことを何とよぶでしょうか?
ご飯をてべましたか?食べていません。
実は(白米ではなく)パンなら食べました。
といういうのはご飯論法です。
そういうとんちの利いた質問ではなく、率直になんと呼ぶのかということですが、夕食にしろ朝食にしろ、ランチにしろディナーにしろ、すべてご飯と称します。
しかし、若いころ。想像以上に若いころはご飯と呼びません。「まんま」と呼びます。
「まんま食べましょうねぇ~」など幼児に話しかけたりします。語源は知らないのですが、まんまと呼びます。
「ま」がつきます。偶然ですが、大体それをたべさせるのはママです。
ママがまんまを食べさせます。
勝手な印象なんですが、「ま」がつく言葉は生活の中で、命や生活にかかわる単語が多いような気がしました。なんの根拠もないのですが。ふと思ったのは、食べるのも「まんま」と呼びますし、地方によるのかもしれませんが、仏様を拝むときに「まんまんしとき」ということがあります。食と祈り。ふとそれに通じるものを感じ、言葉の不思議さを勝手に感じた次第でした。
意識を向ければ意識を向けただけ、共通事項が見つかるのかもしれませんが、日常で流れていく情報にあえて意識を受けることはそんなにないです。意図して向ける習慣をつけると新たな気づきもあるのかもしれません。私の場合99パーセントは世間からは無意味というものかもしれませんが、楽しいです。そして、1パーセントでも何か世のためになることが見つかれば、それはそれで素敵かと思いました
そして日々は続く。