徒然日々 ー 園芸とDIYと時々ソーシャルワーク ー

日々を暮らしていて、思ったことを書いていく、時間をつぶすにはぴったりだが、まったく為にならないブログ。

病気と孤独とつながり。明日は我が身にニュース.

コロナに感染されていた女性が亡くなったというニュースを目にしました。

news.yahoo.co.jp

病気ではなく、病気になったことによる負担感によって、もしかしたら自死に追いやられたのかもしれません。

この方の、状況について詳細はしりませんので、変な考察をすることは書きませんが、自分に置き換えて感じることを書いてみようと思いました。

メンタルの強い弱いとは何かなと考えたことがあります。どんな状況でも揺るがない、とか、いつも強気、というのが私はメンタルが強い人とは思っていません。

メンタルが強い人というのは、2つの軸の力があると思います。2つは安定する力。もう一つは、不安定になってもリカバリーできる力です。

いつも強気で、何を言われても押し返し、芯を貫くというひとも、他者を叱咤したり、怒りを表出する人は、私はメンタルが弱いと思っています。また、だれもが、不安を感じたり揺れることは当たり前だと思います。メンタルが強い人は、不安にもなるけど立ち戻りや不安を活かすスキルを持っていると思っています。

では、このコロナの不安の中で自死に至るということは、メンタルが弱かったのか、、ということではなく、メンタルの立ち戻りには個人的な要因と外在的な要因があると思います。

それは圧と孤立だと思います。日々、コロナが与える身体的な影響よりも社会的な影響が大きいと思います。行動の制限や、日々の注意喚起。日々の注意喚起が意識されるということは、感染するという事態は、日々の予防策ができていなかったのではないかという懐疑が向けられるかもしれません。電車で咳き込むととても厳しい視線を感じます。または感じているように感じます。ましてやPCRで濃厚接触者をあぶりだすという方法は、インフルエンザと違い、ある程度誰からうつされたのかを推察しやすくさせています。要するに犯人探しがしやすい病気だということです。そういった病気になった体の負担より、社会的な責任やそれに纏わる圧が大きいのがコロナ騒動の特徴だっと思っています。

また、ソーシャルディスタンスと言われるように、いまは人との距離を置くことが推奨されています。子ども広場なども、閉鎖されていたり、人数がへっていたり、夫が県外に出張していたら2週間利用できないところもあります。そういった居場所が減っている現状があります。また、家族間も核家族化ということもあり、日ごろからそもそもかかわりを持つ家族が少ないというのもあります。大学生もオンライン授業が中心で、同期の人と関わらないまま月が過ぎています。そういった、社会的な孤立が全員でありませんが、以前より起こりやすい事態になっていると思います。

この圧と孤立。

この両者がそろうと、いくらメンタルが強いといわれていも、容易にこけます。

ほんとに、記事のニュースは他人ごとではないと思いました。改めて、自分を支えているものはなんだろうと考えましたし、少しでもいいので、自分に「何とかなるでしょう」と励ますようにしました。少なくとも、しんどい時は、迷惑かけるかもしれないけど、誰かに助けてもらお、話をしてみよ、と思いました。そんな今日でした。

 

そして日々は続く。