今日の本:レベッカ・ソルニット「迷うことについて」。本を集めるのが、好きなのです
タイトルそのまま、本が好きです。
本を集めるのが好きです。
読みたいと思いながらも積ん読の毎日でございます。
そえでも棚においてあれば、背表紙は読みます。ご飯を食べながらも読みます。例えば、目をまえにやしますと「心をあやつる男たち」(自己啓発セミナーを題材にした小説)、「市民社会とはなにか」、「82年生まれ、キム・ジュン」「市民の日本語」などなど。
気に入った本があれば集めるという次第です。
今回も、また本を買ってしまいました。
レベッカ・ソルニット「迷うことについて」
これを買おうを思ったのは、朝日新聞の折々の言葉で鷲田清一がソルニットの発言を異様していたのがきっかけです。
言葉というのは、恣意的に操る言上できます。いろんな事実を伝えていくのは文字です。文字なきところに記録は残りません。
逆を言えば言葉を上手に操れば、事実も事実ではなくなったりします。
言葉を丁寧に扱う時代か、そうでないか。
少し覗いてみたいと思います。
ローソンの冷凍チゲうどんが秀逸。
書いてあるとおりの内容です。
先日、どうにもこうにもお昼ごはんがめんどくさくなりまして、コンビニで買い物をしました。コンビニなんて割高な・・・とも思いましたが、スーパーに買いに行くのもの手間ですし、時間がかかってしまうなと思いました。
ただ、コンビニのお弁当もぐっとこず。。。
そこで
冷凍チゲうどんを買ってみました。
かけてみるとこんな感じでした。
かちこちです。
本当に美味しくなるのでしょうか。疑問をもちつつもスイッチをオン。このうどんは、IHも使用可能でした。
最初の3分ほど、弱火でじわじわ。
すると、途中から元気いっぱいに、ぐつぐち言い始めました。
少しするつ、おいしそうなチゲうどん。
一口食べてみますと、それなりにピリッとしていまして、鼻筋に汗がにじみ出てきました。はふはふ言いながら食べた20分間。
500円ほどで熱いチゲうどんが食べれたこの商品はお誂え向きでした。
また、機会があれば食べたいと思います。
そして日々は続く。
何巡年ぶりでしょう。久しぶりすぎて、正解がわからなくなったお雛様
もう何十年ぶりでしょうか。
我が家もお雛様を飾る機会が久しぶりに訪れました。
久しぶりすぎでお雛様とお内裏様の位置がわからなくなってしまいました。
どっちがどっちなのでしょう。
舞台で見ると、向かって右手が上手。左が下手になります。そうなると、男尊女卑を考えたら、右手側にお内裏様がくるのでしょうか。はたまた、ひな祭りというぐらいですからお雛様が主役なので、主役が右側にくるのでしょうか。
並べて、写真を撮った後に不思議に思えてきました。
結局写真の通りに並べてみました。
すると、身内から逆じゃないか?と言われ、見本で確認するとたしかに写真とは逆の位置に置かれていました。
うーん。確かに。
ともあれ、大切なのは祝う気持ちだったり、日々を大切にする気持ちだったりするとおもいますので、丁寧に飾らせていただきました。
そして日々は続く。
人生を変えるようのものは、決意なんかじゃないと思う今日この頃。
早いもので、もう一月が終わりそうです。2021年の12分の1が終わりそうです。深夜0時を年始としましたら、2時ぐらいでしょうか。そう考えるとまだまだいけますね。
毎年、新年を迎えますと、会社や友達やらで今年の抱負を考えて発表したりするちょっとした交流会をして今いた。今年はしませんでしたが、よくあるやつです。
今年の抱負。
今年の決意。
今年実現したいこと。
あとから思うのですが、私の場合、去年どんな目標を立てたのかすら覚えていないのです。毎年、生活を変えよう!デトックスしよう!、なんだかおしゃれに暮らしたいわ!と思って目標を立てます。立てたことすた覚えてます。
毎年がスタート。それは続かない。続かないとなると、何かを決意することは、人生を変えることにそんなに影響を与えないんじゃないかと思い始めました。いまさらですが。
それよりも、今私がやっているのはレコーディングです。何にどれくらいの時間を使っているかなと、ストップウォッチで計っています。計ってなんやねん、ということですが、以前食事をレコーディングしたことがあります。恐ろしいもので1か月で3キロ減りました。もともと、体脂肪が低い方なので、その中でも3キロ減るのは、ちょっと怖いと思いまして2か月ほどでやめました。
思い知ったのが、レコーディングの力です。特に痩せよう、とか思っていたわけではないのですが、食べたものを記録するだけで、意識が向けられ、カロリーをはかるようになったのです。
何が言いたいかといいますと、何かを前向きに目標と立てるより、今の時間をはかるだけの方が人生をかえるんじゃないかな、ということです。
じゃあ、なぜ時間をはかるのか、ということですが、私は人生を変えるのは自分ではないと思いっています。環境だと思っています。誰と付き合っているか、どこにいるか。主にこれです。ただし、自分で通うと思うと、決意ではなく唯一思うのは時間の使い方だとおもいます。なので、時間の使い方を意識しようとおもい計っています。
自分が何に、どれくらい使っているのかは、はかることで少し意識を向けたいものです。シンプルです。やったことと、それに纏わる時間を記録するだけ。
ちなみに、このブログをここあで書き上げるのに13分。
決意しても、餅つきみたいに年始に食べて終わりにならないように、がんがりたいものですね。
そして日々は続く。
病気と孤独とつながり。明日は我が身にニュース.
コロナに感染されていた女性が亡くなったというニュースを目にしました。
病気ではなく、病気になったことによる負担感によって、もしかしたら自死に追いやられたのかもしれません。
この方の、状況について詳細はしりませんので、変な考察をすることは書きませんが、自分に置き換えて感じることを書いてみようと思いました。
メンタルの強い弱いとは何かなと考えたことがあります。どんな状況でも揺るがない、とか、いつも強気、というのが私はメンタルが強い人とは思っていません。
メンタルが強い人というのは、2つの軸の力があると思います。2つは安定する力。もう一つは、不安定になってもリカバリーできる力です。
いつも強気で、何を言われても押し返し、芯を貫くというひとも、他者を叱咤したり、怒りを表出する人は、私はメンタルが弱いと思っています。また、だれもが、不安を感じたり揺れることは当たり前だと思います。メンタルが強い人は、不安にもなるけど立ち戻りや不安を活かすスキルを持っていると思っています。
では、このコロナの不安の中で自死に至るということは、メンタルが弱かったのか、、ということではなく、メンタルの立ち戻りには個人的な要因と外在的な要因があると思います。
それは圧と孤立だと思います。日々、コロナが与える身体的な影響よりも社会的な影響が大きいと思います。行動の制限や、日々の注意喚起。日々の注意喚起が意識されるということは、感染するという事態は、日々の予防策ができていなかったのではないかという懐疑が向けられるかもしれません。電車で咳き込むととても厳しい視線を感じます。または感じているように感じます。ましてやPCRで濃厚接触者をあぶりだすという方法は、インフルエンザと違い、ある程度誰からうつされたのかを推察しやすくさせています。要するに犯人探しがしやすい病気だということです。そういった病気になった体の負担より、社会的な責任やそれに纏わる圧が大きいのがコロナ騒動の特徴だっと思っています。
また、ソーシャルディスタンスと言われるように、いまは人との距離を置くことが推奨されています。子ども広場なども、閉鎖されていたり、人数がへっていたり、夫が県外に出張していたら2週間利用できないところもあります。そういった居場所が減っている現状があります。また、家族間も核家族化ということもあり、日ごろからそもそもかかわりを持つ家族が少ないというのもあります。大学生もオンライン授業が中心で、同期の人と関わらないまま月が過ぎています。そういった、社会的な孤立が全員でありませんが、以前より起こりやすい事態になっていると思います。
この圧と孤立。
この両者がそろうと、いくらメンタルが強いといわれていも、容易にこけます。
ほんとに、記事のニュースは他人ごとではないと思いました。改めて、自分を支えているものはなんだろうと考えましたし、少しでもいいので、自分に「何とかなるでしょう」と励ますようにしました。少なくとも、しんどい時は、迷惑かけるかもしれないけど、誰かに助けてもらお、話をしてみよ、と思いました。そんな今日でした。
そして日々は続く。
炭酸にはまっています。
いまさらながらに、炭酸にはまっています。
昔はビールが好きでした。
そのためは、すこしカクテルとか好きでした。
その先に行き着いたのが、今は炭酸です。
アルコール系を摂取すると、どうしても次の日パフォーマンスが下がります。そもそもアルコールに弱いのです。以前は、飲むことがなんかカッコいい、と思っていたのですが、今やそれは消え失せ、次の日を気持ちよく過ごすことに重点を置くようになりました。時に、飲みますが、それは次の日が休みの時。
炭酸飲料も、通常のジュースは甘すぎて、最近は少し気持ち悪くなってきました。時々無性にコーラが飲みたくなりますが、半分ぐらいで満足します。
そして、出てきたのが炭酸です。
ただの炭酸。
しかも強い炭酸は、刺激が強すぎて飲めません。程よく気が抜けてきたものがいい感じです。
今日もしゅわっとのどに流し込みます。しゅわ。
そして日々は続く。
病気と孤独とつながり。明日は我が身にニュース
コロナに感染されていた女性が亡くなったというニュースを目にしました。
病気ではなく、病気になったことによる負担感によって、もしかしたら自死に追いやられたのかもしれません。
この方の、状況について詳細はしりませんので、変な考察をすることは書きませんが、自分に置き換えて感じることを書いてみようと思いました。
メンタルの強い弱いとは何かなと考えたことがあります。どんな状況でも揺るがない、とか、いつも強気、というのが私はメンタルが強い人とは思っていません。
メンタルが強い人というのは、2つの軸の力があると思います。2つは安定する力。もう一つは、不安定になってもリカバリーできる力です。
いつも強気で、何を言われても押し返し、芯を貫くというひとも、他者を叱咤したり、怒りを表出する人は、私はメンタルが弱いと思っています。また、だれもが、不安を感じたり揺れることは当たり前だと思います。メンタルが強い人は、不安にもなるけど立ち戻りや不安を活かすスキルを持っていると思っています。
では、このコロナの不安の中で自死に至るということは、メンタルが弱かったのか、、ということではなく、メンタルの立ち戻りには個人的な要因と外在的な要因があると思います。
それは圧と孤立だと思います。日々、コロナが与える身体的な影響よりも社会的な影響が大きいと思います。行動の制限や、日々の注意喚起。日々の注意喚起が意識されるということは、感染するという事態は、日々の予防策ができていなかったのではないかという懐疑が向けられるかもしれません。電車で咳き込むととても厳しい視線を感じます。または感じているように感じます。ましてやPCRで濃厚接触者をあぶりだすという方法は、インフルエンザと違い、ある程度誰からうつされたのかを推察しやすくさせています。要するに犯人探しがしやすい病気だということです。そういった病気になった体の負担より、社会的な責任やそれに纏わる圧が大きいのがコロナ騒動の特徴だっと思っています。
また、ソーシャルディスタンスと言われるように、いまは人との距離を置くことが推奨されています。子ども広場なども、閉鎖されていたり、人数がへっていたり、夫が県外に出張していたら2週間利用できないところもあります。そういった居場所が減っている現状があります。また、家族間も核家族化ということもあり、日ごろからそもそもかかわりを持つ家族が少ないというのもあります。大学生もオンライン授業が中心で、同期の人と関わらないまま月が過ぎています。そういった、社会的な孤立が全員でありませんが、以前より起こりやすい事態になっていると思います。
この圧と孤立。
この両者がそろうと、いくらメンタルが強いといわれていも、容易にこけます。
ほんとに、記事のニュースは他人ごとではないと思いました。改めて、自分を支えているものはなんだろうと考えましたし、少しでもいいので、自分に「何とかなるでしょう」と励ますようにしました。少なくとも、しんどい時は、迷惑かけるかもしれないけど、誰かに助けてもらお、話をしてみよ、と思いました。そんな今日でした。
そして日々は続く。