徒然日々の日常

日々を暮らしていて、思ったことを書いていく、時間をつぶすにはぴったりだが、まったく為にならないブログ。

緊急事態宣言で影響を受ける人。受けない人。

緊急事態宣言、、、がまた新たに発令されそうです。

これは完ぺきに局所的な感想でしかないんですが、自分のかかわっている仕事は緊急事態宣言の影響を強く受けてします。いままで10のものてやっていたことを5に抑えてやることを決めました。それは性質上、人にかかわる仕事で、接する人の安全を守らないといけないからです。

コロナは若年層へのリスクは低く映っていますが基礎疾患や高齢の方にとっては危険度が高い病気となっています。症状が少ないからと言って、ほかの人に移さないかと言ったらそうではなく、移ります。無症状であっても移ります。

自分がり患してしまっていて、無意識のうちに誰かに移しているかもしれません。そういうリスクが生まれる病気です。移した相手は平気でも、その人の親兄弟祖父母に広がってしまったら。いつかはリスクが高い人に行き着いてしまいます。

そんなことを考えると、緊急事態宣言が発令されたら何もしないわけではなく、それなりに対応したいと思っています。

健康増進法が出たとき、私個人では健康に対する取り組みは全くと言っていいほど変わりませんでしたが、社会的な意識はいくばくか上がったようにおみます。

フェミニズム運動が起きたとき、その理論自体は矛盾していたり現代に取りのこさえれた感がりますが、ジェンダーという考えに焦点が当たり、女性の社会進出には大きな影響を与えました。

緊急事態宣言が出たことで、強制力がないからとはいえ街中がそれなりに相対的に危機感をもつことが重要だとは思っています。

今日も帰り際の道中のラーメン屋が、密密になっている様子を見ると、緊急事態はさほど意識はされていないんじゃないかと思ったりしました。

温度差がとても大きくありそうで、こういう時はいくら科学的根拠を!といっても、人の不安や軽視、恐怖や嘲笑は格差を生んでいくなぁと思いました。

コロナ嘘とか言っていいる人をみると。科学的根拠を扱うのも主観的な私たちなのですから、結局主観的になってくる。ようは、見たいものしか見たくない、ということばかりで、そういうのがネットにあふれていると思います。

多様性といえば聞こえはいいですが、感染予防を考えたときに、多様性はリスクが高まします。「俺はマスクしないぜ。」「私はおしゃれなマスクをする」「子どもはちっそくの恐れがあるからマスクさせない」「不織布が一番」・・マスク一つとっても多様性があると、一律の対策ができないです。

多様性は遠心力。それに反して引き付ける求心力が必要になってきます。

いま私たちが望む求心力ってなんだろうかと考えてしましまう。

安心安全な生活、、、なのかもしれませんが、そういうのは昔から誰もが望むものですから、現状をみると違う求心力が必要なのかもしれません。

今日は、(今日も?)思いつくままに書いてみました。

 

そして日々は続く。